なぜ、エルピーダメモリは破綻したのか?

半導体大手のエルピーダメモリが破綻したことに、専門家(経営、技術)から、いろんな意見がでている。
 (2月27日、東京地裁に会社更生法の適用を申請し、受理された)

その意見を、くにゅーニュースが取りまとめた。

<なぜ、破綻したのか?> 
・円高。 
急激な円高が、他国との競争力を奪った。

・経営資源の集中が出来なかった。
 「一般100㎞、電機50㎞、自動車150㎞」 
ものづくりにおける経営資源の集中を表す言葉だが、エルピーダメモリは出来ていなかった。

電機にあたるエルピーダメモリは、半径50㎞以内に本社、研究所、工場を集中しなければならなかった。

実際は、本社は東京、主要工場は広島(東京から800㎞)と秋田(東京から450㎞)。

・規模拡大ができなかった。 
DRAMは、毎年設備投資に莫大なコストが掛かるが、一方、価格のほうは低迷した。
(とくに、リーマンショック以降)

「生産量が10倍になれば、製品1つあたりの原価は半分になる」 
多量生産の効率性を表す一般的な格言だが、これができなかった。

設備投資の金が無い→製品1個当たりの原価が高い→儲からない→設備投資の金が無い→…
『悪循環』に陥ってしまった。

・決断できない経営者。
やることは、はっきりしていた。
しかし、経営者が、それをできなかった。

<どうすれば良かったのか> 
・ニコン。 
精密機械のニコンは、低価格の普及品や中級品のデジタル一眼カメラについては、タイで生産している。
高級品だけを、日本国内で生産するというシステム。

エルピーダメモリも、早く、低価格の製品はタイあたりで製造するシステムに変えるべきであった。
(途中から、低価格のパソコン用は台湾や中国に委託した)

さらに、国内工場も、1箇所に集中すべきで、本社もそこに移すべきであった。
(本社を広島に移し、工場、研究部門も広島1箇所に集中)

・日産のカルロス・ゴーン。 
日産自動車のゴーン社長のような割り切ってやれる経営者に、替えるべきであった。

日本人の経営トップは調整型タイプが多く、やることがわかっていても出来ない。
(労使関係や地元との関係などの「しがらみ」に縛られる)

【エルピーダメモリ】 
日本における唯一のDRAM(ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリー)専業メーカーで、そのシェアは世界3位。

広島、秋田、台湾に生産拠点を持ち、従業員数は約6千人弱。
本社は、東京都中央区。

1999年、日立製作所とNECのDRAM事業が統合され、NEC日立メモリという社名で設立された。

翌2000年、現在の名前の「エルピーダメモリ」に、商号を変更。

2003年には、三菱電機の事業も引き継いだ。

2012年2月27日、東京地裁に会社更生法の適用を申請し、受理された。
急激な円高とDRAM価格の下落等により、同社の経営が悪化。
負債総額が4千億円を超え、債務支払いが困難となったため。
事業を継続しつつ、裁判所の監督下で、再建を目指す予定。